大阪高等裁判所 昭和41年(う)695号 判決 1970年10月27日
主文
原判決を破棄する。
被告人和田敞を懲役二年に
被告人和田武を懲役一年六月に
処する。
原審および当審における訴訟費用は被告人両名の連帯負担とする。
理由
本件各控訴の趣意は、被告人両名の弁護人池田良之助作成の控訴趣意書記載のとおりであるから、これを引用する。
ところで、まず職権をもつて調査するのに、原判決は、その罪となるべき事実の第三および添付の別紙(一)の一覧表中番号25において、被告人両名共謀にかかる犯行として、昭和三八年四月五日ごろ原判示株式会社大伸黄銅事務所において振出人酒井正名作成の額面三〇万円の約束手形一通を偽造し同日偽造にかかる他の約束手形五通と一括して同日ごろに右事務所で株式会社春田末商店営業部長中島勇雄に対しこれを行使し同商店に対する買掛代金の支払いを免れた旨を認定している。しかし、記録を精査しても被告人両名について同日ごろ右酒井正名振出名義の約束手形を偽造しこれを行使して詐欺を行なつたとの事実につき起訴された事跡は全くうかがえない。してみると、原判決には審判の請求を受けない事件について判決をした違法があるというべく、この点において原判決は破棄を免れない。
次に、控訴趣意中事実誤認の論旨とこれに対する当裁判所の判断を示すと次のとおりである。
論旨は、要するに、被告人らは原判示各手形振出名義人からいずれもその名義で約束手形を振出すことにつき包括的に承諾されていて、その承諾に基づき原判示各手形を作成振出したのであるから、その手形作成行為が偽造となるいわれはなく、ひいてその行使罪やこれによる詐欺罪も成立するいわれはない、というのである。
しかしながら、原判決挙示の証拠によると、原判示各事実(ただし、原判示第三のうち別紙(一)の一覧表の25中酒井正名振出名義の約束手形の偽造、同行使、およびこれによる詐欺の事実を除く。もつとも、右25中支払を免れ財産上不法の利益を得た金額については異動はない。以下、これにならう。)は優にこれを認めることができ、記録および当審における事実の取調べの結果を検討しても、被告人らが各振出名義人から原判示各約束手形の振出につき所論のごとき承諾を得た事実を認めるに足る資料はない。なるほど、原判示各振出名義人がいずれも被告人らと所論のごとき関係にあること、すなわち、大江欣吾は被告人和田武の妻の従兄であり、友永実は被告人和田武の妻の実兄、井上義則はその妻が被告人らの実妹、株式会社大吟工作所は右井上義則が被告人和田武のすすめにより設立しみずから代表取締役をしていたもの、合田富昭は被告人和田敞の出身学校の後輩であつて被告人らの経営する原判示株式会社大伸黄銅(以下、単に大伸黄銅という。)の従業員、酒井正名は被告人らの実母の妹婿の実弟であつて大伸黄銅の従業員、松根嘉夫は被告人らの実父の恩顧を被つている者、美徳金属株式会社代表取締役の近藤平八郎は被告人和田敞の友人であつて同会社は右近藤平八郎が同被告人のすすめによつて設立しみずから代表取締役をしていたもの、上田サンリツ工業株式会社は右美徳金属株式会社の商号変更後の会社で大伸黄銅の従業員武田大吉が代表取締役として登記されていたものであることは原審で取調べた証拠によつてこれを認めることができる。しかしながら、だからといつて所論のごとく本件各手形がその振出名義人たる個人または法人の代表者の承諾のもとに振出されたものとは証拠上とうてい認め難い。
以下、さらに所論にかんがみ原判示各振出名義人ごとに説示することとする。
(一) 大江欣吾振出名義の約束手形について
所論は、被告人らは昭和三七年六月ごろ以後大江欣吾名義で同人の取引金融機関である大阪市信用金庫生野支店を支払場所として同人使用のものとは別の印鑑で約束手形五八通を振出し、そのうち四九通については現に同人の手で決済してもらつているのであつて、このこと自体承諾のあつたことを示す証左であるというのである。なるほど、証拠によると、被告人らにおいて大江欣吾がその当座取引金融機関である大阪市信用金庫生野支店に同取引用として届出ている印鑑と異なる印鑑を用いて同人名義で右支店を支払場所とした約束手形を数十通振出したこと、それらの手形のうち本件手形九通以外はいずれも決済されたことは所論のとおりである。しかし、原審および当審で取調べた証拠、特に被告人両名の捜査機関に対する各供述調書中の関係部分、証人大江欣吾の原審公判廷での供述および同大江婦美の当審公判廷での供述によると、被告人らにおいて勝手に大江欣吾の記名印(ゴム印)および印鑑(丸印)を作りこれを使つて前記のとおり同人振出名義の約束手形を作成振出し代金支払または割引の用に供していたこと、これらの手形は最終的には支払場所として記載されている前記金庫生野支店に回つて来るので、同支店においては当該手形の支払期日に大江方へ届出の印鑑と異なる印鑑を押してある手形が来ている旨を告げ不渡り処分を避けたいならば現金と届出印を持参して決済するよう連絡していたこと、当時自動車修理販売業を営んでいた大江方の会計事務一切を処理していた大江婦美(大江欣吾の妻)は、本件手形九通以外の分(その支払期日はいずれも本件手形のそれよりも前である。)については折柄被告人らから手形を迎えて欲しい旨懇請され当該手形金額に相当する現金を提供されたので、前記縁戚の関係にあつてむげに断わり切れず、また何よりも夫名義の手形が不渡り処分を受けることにより営業上不測の損害を被ることをおそれるの余り、やむなく同支店に赴き当該手形の振出人名下に持参の届出印を押して真正の手形のように作り直すとともに被告人らから提供を受けた現金で該手形を決済していたこと、従つて右大江欣吾またはその代理人としての大江婦美において本件手形九通はもとより、既に決済された手形についても、被告人らに対し個々的にはもとより包括的にも当該手形の振出を承諾した事実のないことが認められるのであつて、所論のごとき事情の存在をもつて直ちに承諾のあつたことの証左と主張する所論には賛成できない。
(二) 友永実振出名義の約束手形について
所論は、友永実は昭和三七年七月ごろ同人と富士銀行布施支店との間で当座取引が開設された際みずから当座取引約定書に押印し爾来自己の印鑑を被告人和田武に貸与していたのであつて、この事実自体同人が同被告人に対し同人名義で手形を振出すことについて承諾したことの証左であるという。しかし、原審および当審で取調べた証拠をし細に検討しても所論の事実を認めるに足る資料はないから、所論は前提を欠き採用できない。
(三) 井上義則および株式会社大吟工作所代表取締役井上義則各振出名義の約束手形について
所論は、井上義則の妻肅代は原審公判廷で被告人らに夫義則の銀行口座を用いて手形を振出すことを承諾した旨証言しているのであつて、一年有余の長期間にわたつて井上義則名義で計九六通の約束手形を振出した実績にてらしそのことが同人夫婦間の話題にのぼらなかつたはずはなく、まして同人が自己の営業上の買掛金等支払のため振出した手形には本件手形に使用されたものと同一の印鑑等を使用していることおよび同人と大伸黄銅との間で締結された昭和三八年六月一二日付井上義則振出の手形の債権者のために右大伸黄銅が履行を引受ける旨の契約を内容とする公正証書の存することにかんがみれば、井上義則自身被告人らに自己の名義で手形を振出すことを承諾していたことは明らかであり、このことは同人が代表取締役である株式会社大吟工作所の手形についても同じである、という。なるほど、証人井上義則および同井上肅代の原審公判廷ならびに当審公判廷における各供述、原審で取調べた公証人提実雄作成の公正証書謄本によると、井上義則および同人が代表取締役である株式会社大吟工作所の営業における経理事務はもつぱら井上義則の妻井上肅代がこれを担当していたところ、井上義則夫婦は右営業において行なう支払のための手形の振出について被告人らのすすめによつて協和銀行布施支店に当座取引口座を開設したが、その際右井上肅代は前叙のごとく被告人らの実妹であるため被告人らに「井上製作所井上義則」および「株式会社大吟工作所代表取締役井上義則」とある各記名印(ゴム印)と「井上義則」と刻した丸印の保管を委したこと、額面四万円、振出人井上製作所井上義則、名宛人新橋自動機株式会社と記載された約束手形一通が振出されたが、その振出人欄に押捺された振出人名の記名印とその名下の丸印の印影は本件井上義則振出名義の各手形のそれと同一であることおよび大伸黄銅と井上義則との間で昭和三八年六月一二日井上義則が支払場所を協和銀行布施支店として振出した約束手形につき三〇〇万円を限度として大伸黄銅においてその手形債権者に対する支払の履行を引受ける旨の契約が成立しその旨の公正証書が作成されたことがそれぞれ認められる。しかし、原審および当審で取調べた証拠、特に被告人らの捜査機関に対する各供述調書中の関係部分ならびに前掲証人井上義則、同井上肅代の各供述によると、被告人らの妹である井上肅代は被告人らを信頼して前叙のごとく各種印章を預けたが、それはもつぱら井上義則または株式会社大吟工作所自身の各種代金の支払のために手形を振出す場合にのみその振出事務を行なつてもらうためであり、しかもその都度の依頼を前提とするものであつたこと、右新橋自動機株式会社宛ての約束手形の作成も右のごとき場合の一例にすぎず、被告人らが右印章類を用い営業資金の調達等もつぱら自己の用途にあてる目的で井上義則または右会社の名義で手形を振出すことをまで包括的に承諾した趣旨ではないこと、井上肅代は原判示犯行の過程で被告人らが井上義則または右会社の名義で勝手に約束手形を発行したことを事後に知つたこともあつたが、それも一、二枚程度と思つていたのであつて、井上義則においては自己または右会社の名義が冒用され手形が乱発されていることを本件発見に至るまで全く知らなかつたこと、ならびに前記公正証書を作成することとなつたのも本件発覚後親族間のこととて事を穏便に納めるために採られた善後策にすぎないことが認められるのである。所論は採るに足りない。
(四) 瑞穂産業こと合田富昭振出名義の約束手形について
所論は、合田富昭は八尾信用金庫本店と当座取引を開始するにあたりみずから印鑑証明の交付を受けたうえ被告人和田武と同道して同金庫本店に赴き瑞穂産業合田富昭名義の当座取引約定書に押印したのみならず、初めのころは同人振出名義の約束手形および小切手に同人みずから署名押印していた事実があり、さらに同人は大伸黄銅のダライ粉事務管掌者として被告人らの指図を受けずに瑞穂産業合田富昭名義で約束手形および小切手を発行した事実さえあり、これらの事実は同人が被告人らに右名義で手形を振出すことを承諾していたことを示す証左である、という。しかし、右合田富昭の原審公判廷での証言によると、同人は本件発覚までは瑞穂産業なる名称さえも知らず、ただ被告人和田敞の命令で小切手数通(記録一四五四丁ないし一四六〇丁)に額面金額および振出日付を記載したことがあるだけで、それも振出人欄がいまだ白地の状態にあるものに記載したにすぎず、それらの小切手が瑞穂産業合田富昭名義で振出されるとはつゆ知らなかつたことが明らかであり、その余の主張事実はこれを認めるに足る資料がないから、所論は前提を欠き採用できない。
(五) 酒井正名振出名義の約束手形について
所論は、酒井正名が被告人らに同人名義で手形を振出すことを承諾していたことは同人の原審公判廷における証言からいつて明らかである、という。しかし、記録によると、酒井正名は原審において二回にわたり証人尋問を受けているのであるが、第一回証言においては(この当時も被告人らと同居しそのころ額縁製造を手伝つていた。)、被告人らに自己の名義で手形を振出すことを承諾したことはない旨明言していて、優に信用するに足り、所論にそう第二回証言は右第一回証言と対比しとうてい信用できない。もつとも、右第一回証言によると、被告人らは酒井正名の承諾を得て同人の氏名を刻した印鑑を備えおき、かつこれの印鑑届を行なつたことが認められる。しかし、同証言をし細に検討すると、被告人らは右印鑑を備えその印鑑届を行なうについてその目的および用途については全く酒井正名に告げず、むしろ同人が印鑑および印鑑届の効用について無知識であるうえ被告人らの使用人として被告人らの依頼を拒み得ない立場はあるのに乗じて右措置をとり本件手形偽造の用に供したものであることが認められる。所論は採るに足りない。
(六) 日本イーゼル製作所代表者松根嘉夫振出名義の約束手形について
所論は、被告人らは昭和三七年六月ごろ松根嘉夫とともに同人を代表者とする日本イーゼル製作所を設立したが、その際同人の発議により富士信用金庫本店に右日本イーゼル製作所の当座取引口座を開設することとなり、その手形等に押捺するため「日本イーゼル製作所代表者松根嘉夫」とある記名印および「松根」と刻した丸印を右松根みずからが製作したうえ被告人らに交付し被告人らにおいてこれを使用するについて一切の権限を委ねたもので、被告人らは右イーゼル製作所の支払のためのみならず大伸黄銅の支払のためにもこれらの印章を利用して日本イーゼル製作所名義で手形を振出すことを許容されていたもので、このことは現に昭和三七年九月二五日から昭和三八年五月一〇日までの間に大伸黄銅の用に供するため同製作所振出名義の手形合計四四通が振出され、松根自身右信用金庫に勤務する実妹からこれを聞きながらなんら異議を述べなかつた事実に徴し明らかである、という。なるほど原審および当審で取調べた証拠によると、日本イーゼル製作所は松根嘉夫を代表者としてイーゼル(画架)の製造販売を目的とし昭和三七年九月ごろ同人と被告人らと共同個人企業として作られたこと、その際同製作所代表者松根嘉夫名義で所論信用金庫に当座取引口座を開設し同口座に使用するため所論記名印と丸印を当時印判業を営んでいた松根嘉夫が製作してこれを被告人らに手交していたこと、本件手形一〇通を含め同製作所代表者松根嘉夫名義で計四四通の約束手形が大伸黄銅の支払のため等同製作所の事業以外の用に供するため右各印章を使用して振出され本件手形以外の分はすべて決済されたことが認められる。しかし、右同証拠、特に被告人らの捜査機関に対する各供述調書中の関係部分および証人松根嘉夫の原審公判廷ならびに当審公判廷における各供述をし細に検討すると、所論記名印と丸印は、松根嘉夫において被告人らが右日本イーゼル製作所の支払のための手形にのみこれを使用するものと信用して製作しこれを被告人らに手交し備えおかしめたものにすぎず、ただ、実際には右イーゼル製作販売の事業はほとんど行なわれないままに放置され、松根としても別に本業(印判業)を持つことゝて同製作所の運営については全く関心を持たず右印章類も被告人らに預け放しにしていたもので、このように同製作所が有名無実の存在にすぎない実情にあり、松根はそのことを知悉していたのであるから、大伸黄銅の支払のため等右製作所の事業以外の用に供するために右印章類が使用され同製作所代表者松根嘉夫振出名義で手形が発行されようとは夢にも考えておらず(同人において同名義の手形が発行された事実自体を知つたのは本件発覚後のことであつて、それまではそのような手形は一通も振出されていないと思つていた。)、まして大伸黄銅の用に供するため右記名印と丸印とを使用して前記名義で手形を振出す権限を被告人らに与えていなかつたことが優に認められる。所論は採用できない。
(七) 美徳金属株式会社代表取締役近藤平八郎振出名義の約束手形について
所論は、近藤平八郎自身美徳金属株式会社代表取締役の名義で三和銀行生野支店を支払場所として約束手形を振出していたこと、また被告人らは昭和三六年一二月から昭和三八年五月までの間右会社代表取締役近藤平八郎名義で一〇〇通以上の手形を振出しており、それらの手形についてその支払場所である同銀行放出支店から右近藤に宛て当座決算通知や予金残高不足の連絡が行なわれたことおよび右手形の振出人名下に押捺されたと同一の印鑑が右近藤の行なつた法人税申告の際に使用されたことに徴し同人が被告人らに前記名義で手形を振出すことについて包括的に承諾していたことが明らかである、という。しかし、所論のごとく近藤平八郎がその権限に基づき美徳金属株式会社代表取締役名義で約束手形を振出していたとしても、それをもつて直ちに被告人らが同一名義で手形を振出すことを右近藤から承諾されていたとはいえず、却つて、被告人らの捜査機関に対する各供述調書中の関係部分、証人近藤平八郎の原審公判廷および当審公判廷における各供述によると、右近藤がみずから発行した前記名義の手形に押印された印章と被告人らが同一名義で振出した手形に押印された印章とは別物であること、近藤は大伸黄銅との間で商取引関係があつたが、被告人和田敞から大伸黄銅への支払は会社振出の手形をもつてしてくれと申入れられたので、それまでの個人企業を会社組織とすることとしたが、会社設立手続に疎いところから、その設立手続一切を同被告人に委任したこと、そこで同被告人はその手続を行なうため前記印判業松根嘉夫に依頼して「美徳金属株式会社代表取締役近藤平八郎」と刻した記名印および同会社代表取締役用印鑑たる丸印を作り、これを使つて右近藤を代表取締役とする美徳金属株式会社の設立手続を了したが、その後右印章類を近藤に渡さず被告人らの手許に保管していたのを幸いに勝手にこれを使つて本件偽造を敢行したものであることが認められる。なお、証人近藤平八郎の右供述によると、同人は三和銀行放出支店から所論のごとき通知等を受けた事実のないことおよび所論のごとき法人税申告については全く関知しないことが明らかである。所論は前提を欠き採用できない。
(八) 上田サンリツ工業株式会社代表取締役武田大吉振出名義の約束手形について、所論は、武田大吉は上田サンリツ工業株式会社代表取締役の肩書のある名刺を被告人らに印刷してもらいこれを所持していたことにより、同人が被告人らに同会社名義の手形振出につき承諾を与えていたことが明らかである、という。しかし、原審および当審で取調べた証拠を検討しても所論の事実を認めるに足る資料はなく、却つて、これらの証拠、特に被告人らの捜査機関に対する各供述調書中の関係部分と証人武田大吉の原審公判廷および当審公判廷における各供述によると、武田大吉は本件発覚まで上田サンリツ工業株式会社の社名すら知らず同人が自己の印鑑証明書を被告人らに手交したことはあるが、これは被告人らから和田電器産業株式会社の設立に協力を依頼されてこれに応じその設立のために必要であるといわれたためで、上田サンリツ工業株式会社の設立や同会社代表取締役名義で手形発行に利用されるとは夢にも思つていなかつたことが認められる。所論は採るに足りない。
以上(一)ないし(八)を通じ所論にそう被告人らの原審公判廷および当審公判廷における各供述は他の関係証拠にてらしとうてい信用できない。その他記録を精査し当審における事実の取調べの結果を検討しても、原判決には所論のごとき事実誤認は見当らない。論旨は理由がない。
なお、弁護人は、昭和四五年一月二〇日付上申書をもつて、原判決添付の別紙(一)の一覧表中番号6の手形一通、番号14の手形六通、番号25の手形六通、番号39の手形七通は大伸黄銅には関係なくもつぱら和田電器産業株式会社の買掛代金の支払のため株式会社春田末商店営業部長中島勇雄に渡したものであり、従つて原判決がこれらの手形も大伸黄銅の買掛代金の支払いのため右中島に渡したと認定したのは事実を誤認したものであるから、この点について職権により調査されたい、という。そこで調査するに、なるほど、原審で取調べた被告人らの捜査機関に対する各供述調書、証人中島勇雄の供述、同人の司法警察員に対する供述調書ならびに押収してある証一六号ないし二二号の約束手形によると、所論手形二〇通のうち前記一覧表中番号6と番号14の手形合計七通は和田電器産業株式会社の株式会社春田末商店に対する買掛代金の支払のため被告人らから同商店の営業部長である中島勇雄に手渡されたことが一応認められる。しかし、前回証拠によると、もともと右和田電器産業株式会社は昭和三七年一月ごろ大伸黄銅の事業中下請加工部門を独立させる手段として設立されたものであるが、事業不振のため同年一〇月ごろには解散し、爾後同会社の事業は大伸黄銅に承継され、同会社の代表取締役であつた被告人和田武は大伸黄銅に戻りそこでの仕事に従事していたこと、他方、春田末商店は従前から大伸黄銅と取引関係があつたが、和田電器産業株式会社が設立されるや大伸黄銅の代表取締役である被告人和田敞から春田末商店営業部長の前記中島に対し右会社設立の趣旨を説明したうえ同会社において債務不履行に陥つた場合には大伸黄銅において一切の責任を負う旨念書を差入れて同会社との取引を申し入れたので、右中島においてこれに応じ同会社と取引を開始したものであり、従つて同会社が解散してその事業が大伸黄銅に承継された後である昭和三八年二月および同年三月に手渡された前記手形七通は、形式的には同会社の買掛残代金の支払のためではあるが、実質的にはむしろ大伸黄銅の債務支払のためであることが認められるので、原判決が右手形七通につきそれが大伸黄銅の買掛残代金の支払のため右中島に手渡されこれによつてその代金の支払いを免れた旨判示したからといつて、これをもつて判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認があるとはいえず、所論は採用し難い(なお、前記一覧表中番号25および39の手形中には所論のような和田電器産業株式会社の買掛代金支払のため使用されたものはない)。
以上のとおり事実誤認の論旨は理由がないが、さきに説示したように原判決には審判の請求を受けない事件について判決をした違法があるので、その余の論旨(量刑不当の主張)について判断するまでもなく、刑事訴訟法三九七条一項、三七八条三号により原判決を破棄することとし、同法四〇〇条但書によりさらに次のとおり判決する。
当裁判所が認定した事実は、原判示第三事実に関し、原判決添付の別紙(一)の一覧表中番号25の末行に「〃三〇〇、〇〇〇酒井正名38・8・16」とあるのを削り、同添付の別紙(二)の明細表中番号2の振出人住所氏名欄に「遠藤平八郎」とあるのを「近藤平八郎」と訂正するほか原判示事実と同一であり、右認定事実に対する証拠も原判決挙示の証拠と同一であるから、いずれもこれを引用し、原判決挙示の法条のほか当審における訴訟費用についても、刑事訴訟法一八一条一項本文、一八二条を適用し(量刑不当の所論にかんがみ記録を調査し当審での事実の取調べの結果を検討しても被告人らについて原判決の刑が重過ぎると認めるべき資料は全く見出せない。)、主文のとおり判決する。